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早稲田松竹復活プロジェクトまとめ [早稲田松竹]

沼田です。

学生時代にやった早稲田松竹復活プロジェクトの当時の日記や、原稿依頼に対して執筆したものをまとめています。

================
 プロジェクト記事の掲載
 2002.9.21  毎日新聞夕刊「優楽帳」
 2002.10.10 早稲田ウィークリー[976号]の投稿コーナー齋藤さんの記事
 2002.11.15 『だから早稲田はトクなんです』 (日経ホーム出版社)
 2002.12.10 毎日新聞夕刊 「早稲田松竹復活」の記事掲載
 2002.12.12 第985号早稲田ウィークリーに武内の記事が掲載
 2002.12.31 読売新聞朝刊 「早稲田松竹復活」の記事掲載
 2002.2.21 ピクトアップ 早稲田松竹プロジェクト&復活記事掲載
  学内サークル
 ⇒2002. 早稲田リンクス(webにて掲載)
 ⇒2002. マイルストーン(雑誌にて掲載)
 ⇒2003. まっちワーク(雑誌にて掲載)
  その他
 未確認ながらテレビ、雑誌等で多数掲載放映

=============-=

当時はまだ、ブログがありませんでした。
書き残していたウェブ上の日記もアドレスがわからないために。
情報としてはばらばらです。

ですが、すこしまとめてみました。
このタイミングでやらないと、またやる機会がないだろうから。

当時を振り返ると、やっぱり今の自分の方がもっとプロジェクトをうまく、
大きくできるとおもうのですが、当時としてはあれで最大限がんばったつもりです。

当時よく思ったのは、

「早稲田はこんなにも面白い素材がたくさんあるのに、どうしてだれも目を向けないのだろう?」

ということでした。

古書店、映画館、演劇、その他もろもろ。

もっと早稲田はおもしろくなる。
万博も終わったから、またちょっかい出しに行くかな。


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祝!早稲田松竹復活!!(早稲田ウィークリー) [早稲田松竹]

祝!早稲田松竹復活!!
 ―早稲田松竹復活まで、永遠と一日―
もうすぐ復活!

政治経済学部4年 武内 一洋

 2002年4月1日、早稲田松竹映画劇場が経営不振のためひっそりと休館した。早稲田実業学校中等部の頃からこの街に通っていたに私にとって、通学路にあって気軽に入れる早稲田松竹は「映画の先生」だった。今までレンタルビデオ屋に行ってもCDしか借りたことのなかった私を、女の子との最初のデートには必ず映画をチョイスする男に変えたのだ。

 閉館から三カ月が過ぎたある日、友人の沼田真一さん(社学4年)から「早稲田松竹を復活させようぜ」という話が出て友人数人と賛同したのが、このプロジェクトの始まったきっかけだ。

 プロジェクトの柱は2つ。1つは署名、もう1つは早稲田松竹の経営母体へ経営案を提案すること。後期が始まって3週目に大学構内で1週間出店を開いて署名を集めた。現在はホームページで署名フォームを設けている。

 経営案については、公的に手に入るデータはもちろん、アンケート、早稲田松竹の前の流動調査までやった。また古書店やカフェなどとの連携も考えた(経営案の詳細については漸次ホームページに公開する予定)。アンケートの結果やデータから見ると、知名度とイメージさえ変われば早稲田松竹にはまだまだ可能性があると感じた。

 11月22日には一区切りとして、今までの活動報告と考えた経営案を紹介する「報告会」を開いた。

 さあ、その次は早稲田松竹の関係者に面会していただき、私たちの熱意や、報告会で練った経営案をお見せしようとしていた矢先のことだった。12月9日、WebのBBSに早稲田松竹が復活するという情報が入った。信じられない。すぐに劇場に問い合わせたところ、12月21日からプレオープンに「たそがれ清兵衛」を上映し、1月下旬から本格的に上映を開始するとの言葉をいただいた。

 これほど嬉しいことはない。だが、単純に喜んでばかりはいられない。早稲田松竹復活後も、われわれにサポートできることはあるか? それは何か? を考えていくため、このプロジェクトは続いていくだろう。まだまだ、多くの人や知識が必要なのだ。

興味を持った方、協力していただける方は、メールをください!!
■早稲田松竹復活プロジェクト
【URL】http://w-eiga.com

(2002年12月12日掲載)


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早稲田松竹復活プロジェクト(早稲田リンクス版)*早稲田松竹復活に寄せて [早稲田松竹]

「おめでとう」と人に言われるのはどんなときだろうか?
結婚したとき、
志望の大学に受かったとき
誕生日を迎えたとき
よく考えてみると、実はそれほど、人に「おめでとう」と言う機会はないし、
言われることもないと気づく。

12月9日、東京にはこの冬最初の雪が降り、朝から交通機関も麻痺、バイトに
行くのも一苦労した。バイト後、早稲田松竹の件でサークルから取材を受け、
それを終えて、凍えながら、早稲田通りを歩いていたときだった。
私たち「早稲田松竹復活プロジェクト」で運営するウェブ上のBBSにて、早
稲田松竹が復活するらしいという書き込みがあり、メンバーからことの詳細を
たしかめてもらえるように、メールが来た。

早速、劇場のほうに、問い合わせた。
「早稲田松竹、復活するんですか?」
「はい。」
「いつからですか。」
「21日からです。」
「本当ですか?」
「本当です。」
「ありがとうございました。」
妙に抑揚のないやり取りを終え、ちょっと考えた。
もしかしてーーー。
早稲田松竹復活か???
いや、そうだ、復活だ、間違いない。
だって、そういっているのだから。

その後は各メンバーに順次、その旨を報告、お世話になった関係者の方々にも
ご連絡をしていった。そのあとのことは、ご想像にお任せするが、その日は電
話が鳴り止まなかった。

11日、AM 8:55 今現在でも、「おめでとう!」というメールが届く。
たぶん、これからの長い人生のなかでも、これほど人に「おめでとう」といわ
れることは、そうないんじゃないだろうか?それぐらいの量。

私たちが、どれくらいのことができたかといったら、その成果を推し量ること
はむずかしいが、この復活劇の脇役くらいにはなれたんじゃないだろうかと思
う。
映画には、たくさんのストーリーがある。でも、それと同じくらい、その映画
を上映する映画館にも物語があるということだ。
その一つがこの早稲田松竹の復活だろう。
私にとっては、ちょっと早めの、最高のクリスマスプレゼントだ。


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12月    -霹靂編- [早稲田松竹]

12月。

署名と提案を会社に持っていくこと。
それ以降は、web上にて、署名をあつめつつ、次の作戦に移るしかない。
というわけで、会社にあらためて、電話するわけだが、
「そういったものは受け取れない」
という形で、拒否されてしまった。
このときばかりは、沼田もすこし気分を悪くした。
いいじゃないか、それぐらい!確かに誰かに頼まれたわけでもない、勝手な活動だったわけだが、署名+提案のこの二つの書類を受け取るぐらい、かまわないじゃないか。

とりあえず、ここは一度電話をきり、考えねばならなかった。
どうするか、郵便で送るか、アポなしで本社にいって渡すか、それとも許可してもらうまで、粘るか、メンバーにも相談するが、なんとも、みんな困惑してしまった。

沼田自身もこれからのみの振り方を考えなければならなかったし、また、実際にはそういいながら、別の仕事が舞い込む形になっていた。(「wams」の件。これはまた、別記する)
そちらに力を集中せねばならず、この「早稲田松竹復活プロジェクト」は行き先不透明のまま、書類を渡すことさえもままならぬ状態だったのだ。最悪の状況下だ。

しかし、12月9日事態は急変する。

ここは日記から引用します。

=====================

朝から雪が降っていた。
でもバイトにいかなければならない。
黒いダッフルコートを真っ白に染めながら、駅まで歩き、バイト先の映画館に向かう。

雪にはいい思い出がない。
小学生の頃、はしゃぎすぎて道路で転び、鼻を強打、真っ白な雪を朱の大地に変えたり、
日大の放送学科の試験で、二次試験の不合格の掲示版を呆然と眺めたり、
彼女にもらった指輪を手袋をとるときにいっしょにおとして、行方知れずにしたりと、
いい事がない。
今日も、とあるサークルの取材を受け、
「こまってるんですよね・・・」
と話したばかりだった。

が、ちょうどその後、メンバーの内田から、
「早稲田松竹復活するっていうBBSの書き込みがあるけど?ほんと?」
とメールが来る。

「???」

早稲田松竹に電話する。
「あのー、復活するんですか?」
「はい。」
「本当ですか?」
「はい。」
「いつですか?」
「21日からです」
「そうですか、ありがとうございます」
抑揚のない声で答える担当の人。
抑揚をこらえる沼田。

17:49
武内に電話。
「早稲田松竹復活するって!」
「マジで?」
二人で大笑い。

17:53
恒吉に電話
留守電。

17:53
齋藤さんに電話
留守電。

17:54
佐々木さんに電話
「早稲田松竹復活します!」
「え?なんですか?」
質疑応答。

17:57
天道さんに電話。
電波がはいらない。

17:58
内田さんに電話。
「復活します!」
「あ、そうなんだ。」
以外にあっさり。
さすがに第一発見者。

今日は雪の日。
でも、沼田に降ったのは「雪」じゃなくて「幸」だった。
いい思い出になりそう。

======================

晴天の霹靂とはまさにこういったことをいうのだろう。(雪だったが)
突然、復活が決定してしまう。
この日は、ともかく、関係者に電話をしまくり、また、電話が鳴り止まなかった。
生涯で、こんなにひとから、「おめでとう」といわれたことがあっただろうか?
ともて複雑な気分だったが、こうして、早稲田松竹が復活することなる。休館も突然ならば、復活も突然だった。

さて、こうして、にわかに周辺がにぎやかになり、わたしたちも、書類をわたすことをいそがねばならなかった。
本社側に電話するのではく、劇場側に電話し、そこで、担当の「イケダ」さんを通すことで、書類は劇場でうけとっていただけることとなった。復活は21日、その前日の20日。忙しく準備しているところだったろうが、時間をとってもらい、無事渡すことができた。(写真)。このとき、「ほんとうにありがとうございました。沼田さんたちのおかげで、なんとか、映画館を再開することができました。」そういった言葉のほかにも、感謝の言葉をいくらかかけてもらった。うれしかった。いや、本当にやってきたよかったとおもった。

劇場からの帰り道、佐々木さんが「ほんとうにやってきてよかったですね」と、沼田に声をかけた。本当にそうだ。感慨深いものがあった。

52年続いた映画館の歴史がここで途切れることなく続いてゆくだろうということと、自分たちがその復活させる活動にかかわったことを誇りにしていいんじゃないかとおもった。いままでの、大学のOB・OGや、これから続く学生たちに。

伝説とか、歴史って言うのは、こうやって作られていくんだろうなとかおもったりする。

でも、本当の意味での「早稲田松竹復活プロジェクト」はまだ、おわっていないのだ。
それはうすうす気づいていた。というか、復活が決まったというニュースを聞いたときもそうおもった。とあるSF小説のなかの格好いい、ラストの言葉をつかうとこうなる。

「伝説は終わり、歴史が始まる」

第二章がここ始まるわけです。


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11月    -混迷編- [早稲田松竹]

11月

プロジェクトとして、開始当時からの区切りの期間が近づいてきた。
当初から、忙しい仲間たちに手伝ってもらうのに、引っ張っても、11月下旬まで、と宣言していたからだ。プロジェクトも、会社側といまだ交渉の席につけず、区切りとしての報告会を開催することで、締めざるを得ない状況下だった。さて、具体的な提案をつくることが湯煎していたわけだが。

6日に流動調査を行った。
早稲田松竹前の道路を一時間に何人ぐらいの人が通るかという調査だ。
ここから、どの時間に人が多く通るのか、また、そのデータをもとに、そのくらいの比率で、映画館に来るお客さんが必要なのか、などの数字的なデータを出してゆくわけだ。

早稲田松竹の前でやるとなると、相当寒いので、近くのドトールからやることにした。
二階の窓越しから、外を眺めること12時間。
ながかった。
いろいろと思い巡らすことになった。

といいながらも、13時には、天道さん、15時には武内がきたので、孤独死するようなとはなかったが、ここで、激論(???)になってしまい、まったく、二人には申し訳ないことをしたと思った。

手伝ってもらいながら、もっと手伝ってほしいと思う。計画通りすすまないと、イライラする。
仕方がないから、自分でやろうとする、そうすると、全体のモチベーションが下がる。また計画を立てる→計画が通りすすまない→手伝ってくれているんだけど、もって手伝ってほしいと思う・・・こんなバットサイクルにはまる。

さらに、みんなが忙しいと思うと、いろいろといいにくくなる。
この辺のジレンマをこの日は爆発させてしまったのだ。本当にこの日はプロジェクト史上、もっともかっこ悪く、もっとも弱音を吐いて、怒っているんだか、なんだか、迷惑をかけた日だった。

そしてネックとなっている全体のビジネスモデル作りを作りもどこまでやるか、

ビジネスモデルとして、自分たちがお金もうけできるような仕組みをいれるのか←(いれないと、無責任な自己満足のケーススタディーになる)

という話で、なかなかまとまらない。
しかし、仮に作ったとしても、相当いい加減なものになる(数字的に)収益モデルを考え出すと、自分たちの事業形態も考えなければならなくなる。
NPOモデルなら考え付くけど、これはこれで、かなり批判されるし。
そういったことを10日に打ち合わせすることとし、プロジェクトの報告会を15日に再設定(結局、22日になるが)してそのための準備などを割り振り、広報は最小限でいこうと考えた。

どんなに小さな活動、イベント、仕事でも、口では簡単に「できる」というが、なんでも実際にやって、成功させるのは至難の技だ。

さて、この日わかったことを大雑把に書くと、
学校に来るときは、地下鉄や、バスで来る人も、
帰りは歩いて、馬場まで帰る ということ。

そうしないと、数が合わない。

朝は授業で急いでるから、電車、バス。
夜はみんなで帰って、ご飯をたべたりするからか?

こうして、流動調査を終えた、しかし、12時間もドトールにいて、コーヒーの一杯しか飲まなかったというのは、いい迷惑だったろうなーとわれながらおもうのだった。

こうした、調査とともに、アンケートもとっていた。
目指せ500人も、結局100人どまり。それでも、十分、沼田たちの仮説の証明するデータをして使えるだろう、結果になった。(アンケート結果)

書くことはたくさんあるが、ポイントは、なぜ、早稲田松竹にいかないのか?という点だったが、沼田たちは、1「プロモーション不足」2「時間があわない」の二つに絞っていた。裏を返せば、宣伝して、二本立てを<一本500円>などのような、4時間も拘束しないプログラムの組み方ならば、十分顧客を獲得することができるだろう、ということだった。
沼田たちの提案の主なところはここにある。加えて、「サービスの強化」「ブランドイメージの強化」などであったのだ。

こうしたデータを下に、22日となった報告会に向けて、資料のまとめや作成を行い、当日の報告会開催の宣伝などをやった。何はともあれ、せわしく、頭を悩ませる日々だった。

そして、ついてに22日、プロジェクトとしての区切の報告会を行った。
学内にチラシを貼ったり、メールで宣伝したりもしたのだが、
結局のところ、この報告会に来てくれた人っていうのは、本当にわずかな人だった。
結構それなりの準備をして、望んだわりには、あまりにも着てくれる人が少なかったので、正直、かなり、凹んでいた。
ああ、自分のやってきたことってなんだったんだろうかと思った。
思いながらも、来てくれた人や、手伝ってもらっている仲間の手前、恥ずかしいプレゼンはできない。沼田にとってはいままででも、時間の割にはまとまった報告をできたとおもう。そうした、報告会の質問では、

「でも、なんで、名画座じゃなきゃいけないんですか?」

という、やっぱり、答えきれない質問が出た。
そして、やっぱり答え切れなかった。
早稲田は多くの文化人を輩出し続ける文化の町であり、その場所に名画座のような映画館が残るべきだ。という沼田の主張も、早稲田松竹は、早稲田のランドマークだからこれをうしなうわけにはいかないといった、発言も、その質問者を納得させるだけのものではなかった。沼田にも、正直、それだけではない、なにかのためのなんだとはおもうが、それをなんとも、口で、説明できなかった。

終わったあとには、来てくれた何人かと雑談した。
これからどうするんですか、とか、どうしたら、映画館再開しますかねーと。
でも、結局は、わたしたちの映画館でないし、そうでない以上、できることは限られてくる。そして、やれることはかなりやってきたつもりだ。継続して、規模は縮小しながらも、プロジェクトは続けていこうとおもっていたが、なにかしらの動きがでるまで、あと一年、もしくは3年くらいかかるだろうな、とおもった。これはもう持久戦だろうとおもった。

ともかく、そうして、報告会も終了し、僕らは文学部前の御用達、プロジェクトの晩餐会場所、サイゼリアに苦楽をともにした、友人たちとささやかながら打ち上げ会を行った。

打ち上げといいながら、何の成果を出したわけではなく、何かに祝杯を挙げるわけでもなく、これは、沼田としても、いままで、手伝ってくれたみんなに対してのお礼のような、感謝のような、飲み会だった。みんなとても多忙な人たちで、そんな多忙な中を縫ってよく手伝ってくれた。本当によくやってくれたとおもう。
「本当にありがとうございました」
と僕は冒頭で一言言った。
「お疲れ様、状況も近いうちに変化もあるかもしれないし、わからないけど、ゆっくり様子見ながらやっていくしかないね。」
そんな話をした、

この日のようすがよくわかるように、日記を抜粋したいとおもう。

=================

・ ・・そして、18:00になった。
集まってくれた人はほんの数人でしかなかった。

この現実に、沼田は正直、がっかりした。
今回の報告会はたくさんに来てもらうこと、以上に、納得のいくプレゼンを出来るようにすることを主目的とした。おかげで、その広報などは遅れてしまったし、イベントとしては魅力には欠けていた。たしかに、自分が逆の立場ならこんなものの話を聞きにこないかもしれない。
ともあれ、プレゼンを開始する、時間はおおよそ25分ぐらいだろうか。その後、簡単な質疑応答をおこなう。

ここで、いくつか質問されたうちに、もっと大きな問題(そして、今まで、繰り返された問題)を聞かれた。それは。

なぜ、名画座でなければならないのか?

である。

これに関しては、いちようの説明はできるが、どれが、そうして社会的に必要なのは、守らなければならないのか、主観的なレベルを超えて説明することが出来なかった。

それは、やはり根本的なもので、そして、思想的なもので、また、とても、個人的な思いによるところで、うまく説明することが出来ない。

しかし、人は説明を求める。

それが、なにになるのか?それは名画座でなくともいいのではないか?という質問。

沼田は出来うる限りの説明はしたつもりだが、それに納得してもらうことは出来なかった。
しかし、そう、これがとても重要なことであるのはわかっている。

社会的にどういった意味があるのか?

・・・ともかく、いくつかの質問に答えることで、報告会は終了した。

来てもらった人には本当に感謝したい。
ここに来てくれたということは、そのほかのことよりも、優先してくれたわけだから。
しかし、結果としては大失敗だろう。
どんなにいい作品でも、人に見てもらわねば、作品として、成立し得ない。
そんなに素晴らしい映画でも、見てくれる人がいなければ、作品として価値がないように。

その後、スタッフはサイゼリアに行き、打ち上げとなった。
沼田はお酒に強いほうではないが、結構早いピッチで飲んでいた。
おかげでとても簡単にあっというまに酔っていた。

酔いながら、笑いながら、しゃべりながら、これまでのことを考えた。
結局、このプロジェクトは壮大な自己満足であったのではないか、と。
安く映画が見たい、スクリーンで映画を見たい、ただ、そんな思いから始めた活動も、結局なにをもたらしたというのだ?何も生み出していないじゃないか。なにも残っていいないじゃないか。

報告会自体は人も少なく、また、質問でも、根本的なところで突かれ、納得させることが出来なかった。無力感を味わうには十分すぎた。

とはいえ、悲観しているわけでは必ずしもなかった。非常に冷静に事態を分析していた。

お世話になったスタッフで、十分すぎるほど、酒を飲み(といいながら、知れた量だったが)食べ、解散となった。相当疲れてもいたので、そのままみんな直帰した。特に武内は飲み会の最中も寝ていたし。

帰宅途中、駅から、自宅までの道のりを歩きながら、松竹以上に、自分自身の身の振り方を考えた。

ぼくはやっと人生を取り戻した。それまで、正直、早稲田松竹のことしか考えてなかったから。シュウカツもしないで、もちろん就職先なんて決まってないし、卒業はもうすぐあっという間だ。

家に帰り、しかし、すぐに寝るわけでもなく(寝付けなかったので)いると、恒吉から電話があった。分かれる最後に「今日はつかれきっているから、どんな電話もメールも読まんぞ!」といっていたのだが、なにかとくべつなことでもあったのかと、電話をとった。
「どうした?」「いや、少し話そうかと思って・・・」
というわけで、3時すぎまで、語っていた。
「沼田は、松竹のことも重要なかもしれないが、自分の人生のことのほうがもっと重要だろう。」
ということで、まったくそのとおりで、いまはそれを最優先しなければならないだろうと語り合った。彼の人生の決断を聞き(沼田にとっては、それはかれにとって、ベストな進路であるとおもった)なるほどとうなずき、また、自分をどこにおくかを改めて問い直した。また、戦後、焼け野原になった東京からいくつもの会社が立ち上がり、いまにあるのをみて、そのすごさはいったいどこにあったのだろうか、などと会話した。
というのは、沼田はこのプロジェクトを通して、わからないことだらけだし、個人で出来ることは限られているし、その未熟さばかりでくやしい思いを何度もしてきたが、当時の彼らは今の沼田以上に苦しい立場にいたにちがいないだろうとおもったからだ。
それが、いまや大企業として世界にまで羽ばたいている。その成長の過程というのは、どのようなものだったのだろうか。とても興味を持ったからだ。だから、そう思うと、沼田は今できないことでも、少しづつ自分を高め、更なる飛躍に備えようと思うのだ。人の人生はとても短い。短いから全力を出していないともったいない。いつ死ぬかもしれないのだから。

 それにしても、沼田はあまりに興味をもつものが多すぎる。そのすべてを人生においてやりきることが可能だろうか?

いよいよ、眠ろうとしたとき、結局何も考えずに眠りに付くことなど出来そうにないことに気が付いた。今日も結局はなにかしらの夢をみることになるのだろう。

22日は終わり、ちょっと、一週間近く早稲田松竹と距離を置き、ちょっと、周りで、全然あっていなかった友人や、そのた、まったく遠のいていたアートの世界や、散歩したり、本を読んだりして、燃料を補給することになる。

ゴールを見出すことが困難になった今、あらためて、どうようにすすめていけばいいのか、
沼田にはわずかばかりの休息と、考える時間が必要だった。


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10月    -雌伏編- [早稲田松竹]

10月。

前回のプレゼンからの反省から、お金の面で具体的に詰めていく必要性があった。また、そもそも、ビジネスとして、やるには突っ込みどころ満載のところを修正しなければならないのだが、本当にビジネスをするかといったら、必ずしもそうではなく、会社の出方次第なわけで、しかし、会社側はあうことを拒否しているし・・・。

メンバーのなかにも、「やっぱり、会うことなしに、プロジェクトの進行はありえない」と話はさかのぼることしばしばだった。とはいうものの、思いつく方法は試したわけだし、あまりしつこくした場合、心象を悪くしかねない。地道に、メディアなどを巻き込み、世論の形成というレベルでプロジェクトをすすめていくことが今現在考えられる手ではセカンドべストだとおもわれた。いくつかの先月から、いくつかの雑誌社、サークルなどの取材をうけていたので、こうした活動をえて、外堀を埋めていくしかないと、再度確認したわけだ。

それにしても、大学が始まったことによって、みんなが集まれる時間、あつまれなとも、仕事する時間というのはバラバラもしくは、難しくなってしまった。

こうした中、まず、7日に、「イトウ」先生の授業にで。ることになった「イトウ」先生の6時限、7時限と参加し、7時限はプレゼン用に時間をもらった。
さて、この6時限では、名前を失念してしまったのだが、とあるNPO団体の代表の方がいらっしゃっていて、演劇界はもっとマーケティングを行うべきだ、という内容の話をずっと行っていた。沼田はききながら、まったくそのとおりだとおもった。どのようにお客さんを呼び込みか、情報をどとけるか、いつ、だれが、だれに、どうやって、どれくらいの規模で、いくらで、宣伝をおこなうのか、考えていくことが本当に重要なわけだ。とてもおいしい、売れているラーメン屋があるとする。これはビジネスの世界ならば、「おいしい」から「売れて」いるのではなく、「売れている」から、「おいしい」のだ。
「いいもの」という、抽象的な言葉で表せる芸術というものがあるならば、そのすべてが世に広く注目を浴びるようにするためには、社会との接点、人々との接点が必要なわけだ。その「接点」をいかに作り上げるか、それが命題だとおもわれる。とまあ、深く思考にふけってしまった時間だったのだが、6時限が終わり、7時限になって、沼田はプレゼンの時間をもらう。

ここは、メーリングリストから、抜粋しよう。

======================

「イトウ」先生のゼミです。
ここでは、15~20分くらいのプレゼンしました。
時間配分は完璧。

んで、思ったことは

「おもったより、高い次元でぼくらは話を展開してる????」

つまり、マネジメントがどうやら、地域通貨がどうやら、マーケがどうやら、
winwinの関係がとか、そういったことばが、<通じない>。

これは困ったねー。ひとつひとつ解説していると、日が暮れてしまうし。

なるべく簡単な言葉でまとめるようにしなければ、ですね。

ただ、前回のプレゼンのような混乱は無かったです。
でも、反論や意見らしいものは、あまりきけませんでした。
つまり、わかってもらえなかったのでしょうか?

最後に、「わかりましたか?」
ときいたら、
「ええ。」

という返事はいただいたのですが、怪しいものですね。今日のプレゼンこそ、
突っ込んでほしかったのですが。

まあ、そんなかんじです。

===================

そう、言葉がビジネスよりになれば、非日常的な言葉ももちろん出てくる。
このときの失敗を補足すると、「パワーポイント」をつかわなかったので、イメージしにくかっただろうか、という点だった。資料もぶつ切れだったので、やはり、プレゼンテーションは「イメージ」が重要じゃないだろうかとおもった。それにともなって、言葉の限界というやつで、聞きなれない言葉が説明に出てくれば、それで、思考はストップしてしまう。難しいところだ。

10 月はこうして、大学が始まったことで、いつものメンバー以外にプロジェクトに興味を示してくれた人たちに会うことが多かった。これは定期的にチラシを張り、また、メディアへの露出などを進めてきた結果だとおもう。ただし、プロジェクトのゴールをどこにおくのか、という点では、以前真っ暗ではあった。それが、リーダーである、沼田を悩ませ続けたし、メンバーはそれ以上にそこに敏感だった。周りからのリアクションは多いが、そのぶん、苦しい時期ではあったとおもう。

さて、そうして、15~18日まで、学内で「署名キャンペーン」を行う。これには署名を集めるという目的もそうだが、それ以上に、「プロジェクト」の宣伝および、顔見せという意味があった。書名を集める行為そのものが、怪しく見えてしまうというのは、致し方ないかもしれない。が、そうであるがゆえに、外に出て行かなければならなかった。

このキャンペーンのおかげで、100名以上の署名が集まった。早稲田大学は、なんと言っても生徒数が多い。見ず知らずの学生の署名集めに協力してくれただけでも、うれしかったが、これは同時にプレッシャーでもあった。なにかとか形にしたいとおもった。会社側にしぶとく電話するも、答えはいつもどおり、むしろ、会社の窓口でも、「上の決めることですので・・・」ということしかいえないのだ、わかってくれ、という雰囲気があるので、それ以上はなんともいえない・・・。

そして、メンバーとの約束の時期も近づいていた。
人それぞれに自分のやりたいことや、やらなければいけないことがある。みな暇人ではないのだ。

10 月下旬、本当に手詰まり感がいっぱいだった。渦中の会社がダメであるとするならば、大学か?商店街か?ほかの企業か?どこに話をもっていけばよいのだろうか?マンパワーも限られている中での選択だった。こうした状況下、追い討ちをかけるように、とある情報筋から、休館の理由や、復活の見込みついて報告が入った。事態は一層深刻なものとなってきた。世間では、国会議員の殺害事件などがおきる物騒なニュースが流れている。こうした社会情勢にかこまれながら、「これは長期戦になるな」。そう沼田は予想せざるをえなかった。


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9月     -激動編- [早稲田松竹]

9月。

引き続いて、さまざまな人に会っていた。
人に見せられるような、大枠の考えをもとにさまざまな人に意見を求めたわけだ。
結論から言うと、このプロジェクトの「受け」はとてもよい、ということだった。

「早稲田松竹復活プロジェクト」

という名前はそのまま、早稲田松竹という映画館を復活させようとしているのだろうということがわかるし、このときばっかりは早稲田大学とその早稲田という名前のブランド力を感じた。
早稲田の学生が何か始めたというだけで、話をきいてもらえたりしたのは、ラッキーだったといえるだろう。また、その提案の中身には、いろんな切り口を用意して、だれにでも何かしらの共感と賛同を得られるようにはしておいたので、当然といえば当然だった。(だが、その分話は「大風呂敷」となるので、実現性は必ずしも高いとはいえないのだが)

学生が夢と希望をかたらず、だれが語るというのだ!というノリではあった。
もちろん、ノリだけでは失敗に終わるだけだ。
お祭りのような一発打ち上げ花火にする気は毛頭なかった。
継続しつつ、わずかながらでも、結果を出し、次つなげてナレッジベース化してゆくこと。

つまり、このプロジェクトは「早稲田松竹」を復活させるためのプロジェクトであったが、同時に、名画座を活性化し、早稲田を活性化し、日本を活性化するためのモデルであったのである。

もちろん、そこには、自分自身のスキルアップを同時にしていくことになったのだが、本当によくかんがえれば、ものすごく頭を使い、かつ動き回っていたものだ。

「コミュニティビジネス」
「地域通貨」
「NPO」
「商店街の活性化」
「映画産業の活性化」
「教育」
「福祉」
「技術」
・・・

盛り込みすぎで、論点が整理しきれなくなる。
これが問題でもあった。そんなとき、ちょうどあるサークルでのプレゼンで話をまとめ、広く意見を募ることが決定した。

上旬はそんなかたちで、精一杯使えそうな切り口を用意し、雑多な資料をまとめなおしてみた。
そして、初めて新聞社から取材の依頼を受けた。ちょっと、珍しい話だから書いておこうかと思う。
最初に連絡があったのは、9月10日のメールだった。
プロジェクトのHPをみて、お話を聞かせてほしいというメールが来たのだ。
沼田としては、突然のことでちょっと驚いたのだが、9月末からは計画では遅れていた広報に力をいれ、一気にプロジェクトの認知度を上げて、覇を唱えるという展開を想定していたので、まったく問題はない。それにしても、どうして、このHPをみつけるにいたったのだろう?と不思議に思った。

記者さんは、フジタさんといい、何通かのメールをやり取りを終えて、13日19:00、待ち合わせ場所を早稲田松竹の前とした。目印は、記者さんは毎日の新聞を、沼田は、重そうなファイルを、ということにしておいた。

当日、少し早めについた沼田は、早稲田松竹の前は、いつのまにやら、拾った本を売り、ダンボールで寝ている人たちの居城と化してしまっていることに苦笑せざるえなかった。芥川の「羅生門」・・・さらには、寺山修二を思い出した。「書を売ろう。町に住もう」・・・そんな馬鹿なことを考えていると、フジタさんがいらっしゃった。
一目見て、フジタさんだとわかった。恰幅のいい、記者さんというよりは、どこかの会社の重役さんに見えた。僕らは、挨拶もそこそこに近くのエクセシオールに入って、そそくさと名刺交換を行い、話を始めた。ここで、「名刺をつくられたんですか???」と聞かれ「ええ。」と答えたのだが、たしかに、学生で、名刺を持つというのはあまりしないことだな、と思った。だけど、沼田の周りは学生なのに、名刺持っているのが普通の輩たちなので、言われてちょっと笑ってしまった。。そうかそうか、自分も含めて、ちょっと我々はおかしな集団なのかも・・・。

話がそれてしまったが、結論からいうと、これ以上なくうまく説明できたと思う。流れるように言葉が出てきたので、沼田自身がわが身を疑ったほどだった。フジタさんは慣れた手つきでメモを取り、一時間ぐらいの取材だった。
  ほとんど沼田がしゃべったわけだが、さいごに、
「なんで、この活動をお知りになったのですか?」と聞くと、
「いやあ、馬場で飲み屋を探していたんですよ」と答えが返ってきた。

そのときに、そういえば、休館になった、早稲田松竹はどうなっただろうか、と興味をもったのだろう。そんなわけで、後半は雑談を交えつつ、つたなく取材も終わりフジタさんとわかれた。取り立てて緊張することもなく、成功といえるだけの手ごたえはあった。続いて17日には、日経ホーム出版の取材もうけたのだが、説明はうまくできていた。

沼田も少し自信をつけ、プレゼンもうまくやれるかではなく、成功か、より完全な成功かどちらかだと思ったりもした。
沼田のかかわるサークル。そのサークルで、プレゼンテーションをすることは、そのサークルが特殊なサークルであるがゆえに、重要な意味を成す。(サークルについてはまた別記)

19日、当日、結果はどうだったかというと、「大失敗」でした。

今までと決定的に違った点があったのです。それは

「一対一」と「一対多」の違いです。

うかつでした。

そう、今までこのプロジェクトの話をしてきた相手は、机を挟んでの一対一の話(すくなくても、数人単位)での話し合いだったので、自分の言いたいこと、相手の知りたいこと、を確認しつつ、話を進めていくことができたのですが、数十人相手に話すのとは、勝手が違ったのです。

自分でも気づいていなかったのですが、大勢の前で、しゃべるときはだれを相手にしゃべっていいのやら、なにをみたらいいのやらわからなくなってしまうのです。

「なにを言いたいのかわからない」

というのが、大方の反応だったようです。

というのは、このサークルのプレゼンテーションはビジネスとして、成立しうるか、という点にポイントを置いていたのですが、沼田のプレゼンテーションは、「ビジネスありき」ではなく「ミッションありき」だったので、なんとも、ちぐはぐなやり取りになってしまったのです。数字的なところはかなり、「カン」に頼ってので、突っ込まれるのは当然といえば当然ですが。

ふと、大学の授業で、90分しゃべリ続ける先生のすごさ(大変さ)が身にしみました。 30分ぐらいの話だったのですが、論点が絞りきれなかったのは、準備不足画素呈した形でした。

それと、後になって気が付いたのですが、

「名画座が好き」「映画が好き」

という人にとっては、

「早稲田松竹を復活させたい」

という、沼田の目的に対して、すんなり話が頭に入り、議論が活発化するのですが、
そもそも、

「映画(映画館で)をみない」
「名画座なんて、よくわからんし、時代遅れで、興味もない」

という人にとっては、ものすごく時間を費やさなくては、理解を得られないということです。
理解を得られればまあ、いいほうですが、理解を得られないときもままあります。

「お金もうけになるなら、いいけど、そうでもないでしょう?じゃあ、君はなんでやるの?どんなメリットがあるの?」

こんな風に議論が根本的なところに移り、

「そもそも名画座じゃなくてもいいんじゃないの?」

という話になったり、

「カラオケボックスならぬ、ムービーボックスというのはどうだろうか?」
「シネマカフェとして、リニューアルするのはどうだろうか?」

という話になってくるときもあるのですが、
たしかにそれもありで、ぼくも自分が映画館を作る、ビジネスとして、おかね儲けを考えるなら、そういのもかんがえるわけですが、今回はちょっと違うわけで。

今現在ある、早稲田松竹をどのように魅力的なものとして、その名画座としての形態を保ちつつよみがえらすかというところがネックなのです。

ここで沼田は、

『映画鑑賞という目的以外に、社会的な新しい役割を付加することにより、コミュニティ全体の活性化を促進する地域のランドマーク的な存在としての再生を目指す』

と早稲田松竹の位置を定めました。

これを軸に提案を作成してゆくわけです。これが果てしない作業の始まりなのですが。


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8月     -鼓動編- [早稲田松竹]

8月。

3日
webの構築にはかなり力の持った人を専属でつけたほうがよいだろうという話から、佐々木さんの紹介で高梨さんをweb部隊に配属、作成を中心にやってもらうことになった。そのあと、師匠の坂本さんにいままでの経過報告も交えつつ、アドバイスをもらった、いつもながら、おもうことだが、本当にこの人はなにものなのだろう?

このときの記録は以下のとおり。

:*:*:*:*:*:*:*:*:*:*:*:*:*:*:*:*:*:

1. 学生側からの経営案提示について
-早稲田松竹側と、ある程度信頼関係を築いてから
本格的なビジネスモデル(携帯コンテンツや収益、運営に関する案)を
提示すべき。相手はプロの経営者だからだ。
-最初は「友の会」的スタンスに立って、
映画や早稲田松竹への情熱をアピールすべき。
-例えば、学生対象アンケートや、地域調査代行など
早稲田松竹側にはリスクを全く与えない関わり方から
信頼関係は得られるだろう。

2. 早稲田松竹への大学資本の投入(援助?)について
-大学資本の投入は絶対ありえない!せいぜい「協力」
-国や都の財団補助金の方が期待できる。
例えばアジア映画祭を早稲田松竹で開催するなど
目的を立て、認可がおりればOK。

3. 全体的なアドバイス等々
-早稲田松竹が「悪い形」で再開するとしたら、
地方の映画館のように恐らく「エロ・グロ」路線
-経営モデルを提示するとすれば、ネットははずせない。
例えば言い古されているが「ネット通販」ビジネスなど
-もっと収益など「数字」に踏み込んで調査してほしい。

:*:*:*:*:*:*:*:*:*:*:*:*:*:*:*:*:*:

雨が降る、季節の割には肌寒い日だった。
沼田も将来はあんなふうに物事を分析し、的確な判断のものアドバイスができるようになるだろうか?

10日までには、学内の署名賛同者の先生方が10人を越えたので、目標値としてなんとかなった。ここまでくるのに、郵便をだしたり、あいさつ文をこねくり回したり、メールを駆使し、電話し、実際には、会えなかったり、など苦労したかいがあったというものだ。

こうしている間に、天道、齊藤、先ほど書いた高梨の3名がコアメンバーに参加。
天道・・・短歌の詠み手。歌人。にして、バンドマン<まんではないが。。。>
齊藤・・・建築学科の院生。沼田としては、新鮮なトークが楽しめた
このあたりから組織構築はかなりしっかりしたものになってきた。
リーダーの沼田のしたに、「広報」「ビジネスモデル」「HP」の三つの機関をつくった。
「広報」はその名のとおり、広報を取りまとめる。具体的にはメルマガの作成、外部との交渉窓口、プロジェクトそのものの宣伝のためのチラシなどの作成、企画立案。
「ビジネスモデル」は、早稲田松竹がそもそも休館するにいたった理由は「経営不振」ということもあったので、大前提となる、「早稲田松竹の儲けるための仕組みづくり」そのための資料集め、作成など。
「HP」は外部とのコミュニケーションを行う一番の要、ホームページの維持管理、コンテンツ企画、作成などのそのすべての業務だ。
こうして、三機関をわけ、仕事を効率化、自分の仕事に責任をもってやってもらえるようにした。

そして、「ビジネスモデル」ではなしになったのは、安定した収益を確保するための仕組みが絶対不可欠であるということだ。これは、「会員制度」を作るのが一番だという判断で、どのような会員制度がかんがえられるのかを検討していった。また、損益分岐点なども検証しつつ、最低限一回の上映で、どのくらいの席がうまっていれば、ペイするのか、ここを突き止めようと思った。

ここでの試算はかなりおおざっぱというか、固定費の算出がちょっとね、、、とは思うが、いまおもうと、会議ではいつも頭を抱えて何時間にもわたってやっていたのでした。

8月12日の打ち合わせまとめ資料抜粋。
------------------------------------------------------------------
参加者:齊藤、佐々木、武内、恒吉、天道、沼田

1.広報について(担当:武内)

○広報の形としては、webを見てもらう→署名、協力を要請 という流れ
を提示するものとする。
○メディアに対する広報は、複数に同時に情報発信する戦略をとる。
○学外に対しての広報は、ビジネスモデルがかたまってからの15日以降と
する。

○これからのスケジュール

8月12日~8月14日:広報戦略を展開するための準備期間

やること=リサーチ(広報対象、連絡先、連絡方法)

担当は以下のとおり。その他の人が情報を得た場合、各担当者に連絡する。

教授(文学部)、映画関係者:沼田
有名人、行政(文化庁、経産省、厚労省、都):恒吉
webメディア:武内

また、学内メディアやサークルに対しては今まで通り各個人のつてで協力
を要請する。

8月14日:中間報告
8月15日:ビジネスモデル完成、HP完成

8月15日~8月25日:上記リサーチの結果を元に、メール送信とその対応

    ~9月30日:学内メディア、サークルに対して時間をかけて準備

10月1日~:学内メディアに露出開始

○質疑応答

Q イベント(早稲田祭、地球感謝祭)への参加はどう考えているか?(
沼田)

A もちろんやる方が良いと思うが、更なる人数が必要になる。(武内)

Q 映画館関連サイトに掲載されている連絡先メアドに対してのメール広
報は行うか?(沼田)

A とりあえずリサーチは行う。(武内)

2.ビジネスモデルについて(担当:恒吉)

○会員制度をどう構築するか?

署名     →
商店街    →   会員制度
携帯コンテンツ→

という3つの流れが考えられるが、この中の 署名→会員制度 を中心に
据える。(携帯コンテンツに関しては、それが会員制度に付随するサービ
スではありえるが、自体でビジネスとしては成り立たないため会員制度に
つなげるのが難しい。とりあえず保留とする。)

○会員制度に関する調査結果

・既存の名画座(沼田)

種類は2つ
割引制度
フリーパス

フリーパスの例.ギンレイホール

料金
1万円/年   シングル(1人)
1万8千円/年  ペア(2人)
3万円/年   グループ(5人以上)

特典の例.
招待券、同伴者割引、情報サービス(郵送、eメール)、入場料金割引、
ポイントサービス、携帯サービス、イベント優先予約

・スポーツクラブ(武内)

種類は2つ

フリーパス(会員でないと施設は使えない。時間帯によって区分する。)
イベントのみの会員(NASPA等にある)

・英会話(恒吉)

法人をターゲットにしている。

種類は2つ

回数券
フリーパス

会員特典の例.リンガフォン
レッスンのほかに
カウンセリング、TOEIC対策、パーティー、留学アシスト、メンバースペ
ース、パソコンコーナー 等のサービスがある。

○法人をターゲットにする場合、名画座が福利厚生と結びつくかが問題。

→学校法人ならありえるのではないか。(例.明海大学の施設の会員制度)

早稲田における案
オープン教育センターと絡める、生協と絡める、Padyカードと絡める。
→これらによって、学部の人の取り込みをはかる。

○市民活動という可能性もある。(例.春日井市のウェルカム横丁)

○これらを踏まえ、ビジネスモデルをどうたてるか?

→Visionからの構成を行う。

すなわち、

1.Vision(=ビラなどに記載されている沼田案)

2.映画産業に対して言われている3点

・企画
・マネジメント
・コミュニティー

3.この3つの中から、「コミュニティービジネスとしての映画館(大学、
地域、行政を絡めた)」を打ち出す。

4.現状・問題点を把握し、企画・マネジメントによる解決策を探る。

5.収益のでる名画座モデルの構築

という構成にする。

○コミュニティービジネスの理論的背景

市場原理に対抗するものとしてのコミュニティーの必要性
早稲田の学生の都会化(すぐに帰ってしまう)→大学、地域にダメージ

○これからのスケジュール

8月14日までに、メールで送信できるような大枠をA41枚で作る。

○4.に間しての具体的試算

早稲田松竹の運営コスト:9000万円/年

・会員制度なしの場合

9000万円÷365日=25万円/日

25万円/日÷1100円/人(入場料)=227人/日

1日2タームとして、1ターム114人の観客を確保しなければならない。
(114席/196席)

・年間1万円の会員制度制を取り、会員を4000人とした場合

会員費収入=4000万円

会員外の観客に関して

5000万円÷365日=14万円/日
14万円/日÷1100円/人=127人/日

1日2タームとして、1ターム63人の観客を確保しなければならない。
会員は、年10回入場するとすると、1ターム55人いることになる。
(55+63=118席/196席)


・会員制度を採用したとして、では会員4000人、会員外の観客
46360人/年をどう確保するか?


会員:会員特典による確保
   特典=duceによる批評、携帯コンテンツ・メルマガによる情報発信、
      古本屋、大学、外部とのコラボ

会員外:作品ラインナップの充実
    宣伝の充実

------------------------------------------------------------------

とまあこんな感じでした。

20日をすぎると、大枠でのプロジェクトの目指すところのパンフレットを恒吉が日経より(?)の作文をしてくれました。

これは作成文書を参考にしてください。

これをもとに、早稲田大学文学部教授にローラー作戦を決行しました。
先生方で、アドレスを公開してる人に、メールをどんどんながしていったのです。
おかげさまで、一気に賛同者をふやすことができました。
正直、どこの馬の骨かもわからぬ学生からのメールにたいして、親切に返信してくれた先生がいたことに感動しました。この辺はだめもとだったので。

こうして、署名としての概要はととのい、サイトのほうも徐々に出来上がりつつあった。
また、このあたりからは、活動のうわさをしって、コンタクトをとってくれる人がたくさんあり、真夏は出会いの季節だった。準備はととのい、周辺のあわただしさは、僕らに夏休みという感覚を麻痺させるのに十分すぎるほどだった。
しかし、ある点だけは依然解決の窓口を見つけることができなかった。
「99%復活なんて無理だ」
そういう人もいた。
確かに、この現実が、沼田たちプロジェクトメンバーを悩み苦しめていた。
それは、会社側とのコンタクトが取れていない。会社側がなにをかんがえているのか、まったくわからないという、事実だった。

やはり、沼田たちが学生だからか?
やり方に問題があるのだろうか?
ビジネスとして話をとおしたほうが、きいてくれるんじゃないだろうか?

手紙は帰ってこなかったし、電話もなかった。
仕方なしに、何度目になるかもうわからない電話をかけた。
「あのー、再開の見込みは?」
「もうしわけないですが、まだ、なんとも申し上げかねますので・・・」
「そうですか、すいません」

この繰り返しだ。
打開策をみつけていかなければならない。
こうなると、やはり、いかにメディアを巻き込んでいくか、世論を形成するかにプロジェクトの成功はかかってくるだろう
「広報」を中心に展開させていくことが津用かもしれないな
戦略レベル、戦術レベルでの再構築を余儀なくされていく。
「でも、おれっていうのは・・・」
ほんとうにあきらめがわるいな、と自分でもおもうのだった。


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7月     -飛翔編- [早稲田松竹]

7月6日(土)
この日は、インターンシップの後輩たちに、なにか交流会のようなものができないかと城間君が考えていて、それを手伝いに学校に来ていた。
でも結局、その交流会自体は人数が集まらなくてできなくなり、仲のよい何人かと文学部のキャンパスにあるカフェ(通称文カフェ)にて、お茶を飲むことになった。
このとき、署名用紙を作りかけだが、持っていたので、これを見せてみようと思った。最初の段階では、協力を仰ぐというよりは、アドバイスをしてもらえればよいな、という程度のものだった。しかし、そこで武内と恒吉が思った以上に乗ってくれた。「ぜひ、復活させよう」といってくれたのだ。このときは本当に勇気が出た。やれると思った。
なにしろ、何をやるにも人が重要だとおもっていたので、そういう意味では仲間としては大変心強いものがあった。

そして、家に帰って早速、メーリングリストを作った。
メールを抜粋。

====================

沼田です。

お世話様です。

さて、改めてですが、このMLは
早稲田松竹を復活プロジェクトチームの
mlです。

目的は
早稲田松竹を復活させること。

プロジェクトっていうのは、
「人」で決まると思います。

君らの力があれば、半ば成功したも同じです。

いやこれまじで、おれはそうおもっている。

まわりにもたくさん仲間いるし、

声かけていけるからね。

まあ、将来は「プロジェクトX」にでも

登場するとしよう。

一発目はこれくらいで。

またメールします、。

====================

そう、なにをするにも、「人」で成否はきまってしまう。
そういう意味で、彼らの賛同はとても心強かったわけだ。
人材確保ということでは、この二人が参加してくれたことで、仲間を集めることはかなり容易にできそうだ、という実感がわいた。メンバーを集めるならだれにするかということを考えた。
基本的には、インターンで知り合った友人たちを中心に声を掛けることになる。というのは、実際に仲のよい人間たちで、彼らほど勉強し、しっかり話せて、知識を持っている人間たちをほかにしらなかったからだ。
ここなら、ちょうどプロジェクトに必要な数を集めることができる。
プロジェクトマネジメントになるのかもしれないが、ひとつのプロジェクトに参加するコアメンバーは多くても7人という、インターン先の師の言葉に従い、7人を目標に調整することにした。

さて、早稲田松竹はこの時点で休館から3ヶ月が経過しており、いつ閉館になるかわからない状況だった。

急がなければならない。

メンバーを増やしつつ、1月15日に第一回の打ち合わせを行う。実際にはこの打ち合わせ上に、坂本さんの事務所を使わせてもらった。坂本さんは、沼田にいろいろと仕事を教えてくれた実務の達人だ。
さて、その打ち合わせだが。

ここでの議題は、おもに以下の3点だった。

1. 早稲田松竹の情報収集と面会申し込み
2. 署名用紙の作成、手直し、賛同者集め
3. われわれの目標、スタンスの決定

早稲田松竹は何をかんがえているのか?映画館をどうしようと考えているのか?これがわからなければ、私たちの活動そのものをどういった方向にむければいいのかわからない。もし、すでに、建物の取り壊しが決まっていて、土地は売却され、マンションが建つ予定があったりすれば、いくら、署名を集めようと無駄に終わる。
そういったことを踏まえたうえで、早稲田松竹の情報収集は絶対に必要だった。
ここで、沼田がわかっていることといえば、何回か電話してわかった情報として、早稲田松竹側が「売却はない」と明言していることぐらいで、そのほかのことはほとんどわからない。そもそも、4月当初から、「休館ということですが、再開する予定はないのですか?」ときくと、「まだ、なんともいえませんが・・・」といったようにかわされ続けてきたわけだ。ここで、不動産登記、商業登記をとりに行くことが決定する。
つづいて、早稲田松竹が何を考えているかわからないといいながらも、なにもしないではいられない。署名集めの準備は基本的には引き続けて行うことにした。署名用紙でのポイントは、著名人の名前をいくつ集められるか、つまり、賛同者の名前に誰がいるかで、その署名の集まりかたがぜんぜん違うというものだった。これは、ゼミの早田先生のアドバイスで、文章は一人歩きしても耐えられるような、しっかりしたものを作ることを前提とした。
基本的には早稲田松竹の復活ののろしをあげるとすれば、早稲田大学内。となると、大学の先生がもっとも効果的であろうと思われた。というのは、ここから、早稲田松竹の情報そのものが流れてくる可能性もあるし、協力してくれる先生があらわれるかもしれないからだ。

しかし、会えたとしても、いきないり、署名がほしいといっても、聞いてもらえるかどうか・・・。

これは、前もって、「早稲田松竹を復活させようとしているグループがいる」 ってことを意識させたほうがいいかもしれない。

以前そんなことを考えていて、メンバーの武内からの着ていたメールでの提案を受け入れた。
「早稲田の教授陣はこれからテスト、学会で忙しいのでゆっくり話を聞く余裕は無いだろう。
なので予めメールボックスか教授室の扉の前にビラを入れておいて、存在を認識させておいて電話、または授業後コンタクトがいい。また、忙しい各教授にあたるよりも総長か学生部長にまずあたった方が良い」という内容だった。
大学側にとっても、イメージアップにつながる活動で、うまくいけば、大学公認の活動になるかもしれない。

そうなれば、プロジェクトの成功率は俄然上がってくる。

よしそれだ!!!

最後に、わたしたちのこのプロジェクトの目標、目的、スタンスをどうするかだが、これも、その場でまとまりきらなかった。というのは、やはり、早稲田松竹が何を考えているかわからなければ、どうしよもないからだ。ただ、早稲田松竹の今現在のスタイルをほとんど変えずに復活してほしいという気持ちが強かった。これは沼田個人の感情だが、名画座のスタイルを崩さず、今現在の箱を壊さず、上映してほしかった。

こうしたことを話し合い。打ち合わせは終わった。

次の日16日には、早速、登記簿を取りに行った。
登記簿はなじみのないものだろうけど、会社の情報をとるためには、こうした公的文章からせめるしかなかった。というわけで「早稲田松竹」の不動産登記簿を新宿区で、商業登記簿を渋谷区で取得。案外お金を使ってしまった。夏の暑い日だったので、くたくただったけど、その足で学校に向かい映画サークルの人にあったて、プロジェクトの話をし、「なにかあれば、手伝いますよ」という最低限の協力は得られた。また、この日は、早稲田松竹側に電話して、「お会いできないですか?」と再度おねがいしたが、やはり断られた。「再開の見込みは?」とも聞いてみたが、「わかりかねますので・・・」ということで、毎度のとおり。「署名集めたりしてもかまいませんよね?僕、あきらめ悪いんで・・・」というと「熱心ですね」といわれる始末。うーん。だからあってくださいよ。ほんとに。
ともかくそんな感じで、交渉はどうにもならなかった。ある程度、話がすすんで、外堀埋めんことにはどうにもならないという感じだった。
まず、前進させよう。

署名活動の準備は着々と進めていた。
原稿はできあがったので、それをよく知っている先生に見せて、賛同者として名前を掲載させてほしいとおねがいする。
同時に文学部の先生、映画関係の先生が強いだろうと思い、よく知っている先生には直接話を通し、それ以外の先生は郵便で資料をおくっていくという計画だった。

仲のよい先生の賛同はかなり簡単にとれた。
ただ、そうでもない先生方にはかなり警戒されることになる。
つまり、このプロジェクトの目指すところとして、早稲田松竹を復活させるというが、どのように復活させるのか曖昧だし、映画館といえども営利企業なわけで、学生が無責任にはじめて、騒ぐようなことには協力できないという先生もいたからだ。これについては、早稲田松竹側が何を考えているかわからない以上、あまり具体的な案を構築してしまっては、会社側に悪いイメージを与えかねないという配慮と、会社側がなにを考えているかわからない以上なんとも答えようがないところがあったのだが、一番の問題は先生方と面識がなれければ、こうなってしかたないかなということだった。

署名活動をやるうえでのもっとも注意していた点は、政治活動のようにおもわれてしまってはいけない。ということだった。何しろ学内に「署名を行うときは個人の責任で」と立て看板がでているくらいだ。それは先生方も警戒するのは当然だと思う。
そういう面でもかなり難しい舵取りでもあった、(この件では、10月にはいってからの学内での署名集めの際に「署名キャンペーン」とすることで、イメージをかえたつもりなのだが)それでも、ここから初めて、外堀を埋めていくしかないとおもった。

改めて書いておくと、復活させるためには、二つの軸をあると考えていた。
ひとつは署名集め。
もうひとつは経営不振を改善するための「提案」

署名集めに関しては前述だが、
「提案」とはどういうことかというと、早稲田松竹が休館してしまったのは経営不振からであった。経営不振ということは、弱にいえば、お金がもうかれば、映画館は引き続けて上映を続けることができるということだ。
これに関しても、早稲田松竹の動きがある程度わからないと、まとまりのないものになり面等違いの方向にいってしまうということがあるとおもうのだが。先生方や活動そのものの方向性を決めていくためにはむしろはこちらのほうが重要だと思った。

17日には、webをβ版として、スタートさせた。コンテンツに魅力的なものを用意し、早稲田松竹の情報を継続してアップしていくことにより、外の世界とつながる大事なツールなわけだ。

さて、ここいらで、武内と話しながら今後の展開をまとめた内容をメールに流しているので、それを参考までにアップ。

=========================

■松竹関係者に会うための方法
1.電話してアポ→×
2、手紙→調べて社長はわかったのでおくれる
3.OB名簿を調べる→17日
4.直接いってアポ→17日検討
5.その他(((なんかないか???)))←マジ困ったぞ!!!

#############

武内さんとの会話in エクセシオール新宿

私たちが考えなければならないこと、調べなければならないことまとめ

●早稲田松竹の
1.利益
2.費用
→損益分岐点はどこか?
→何席ぐらい入ればペイできるか?
→映画以外のビジネスモデル
●顧客
 ・ニーズ
 ・既存顧客
 ・新規顧客
 ・ターゲット(例/1=早稲田学生2=多大生3=シニア層4=地域住民)

●競合←いるかいないか、いるとしたら、だれか、どこにいるか)))
 強み
 弱み
→→→DVD,レンタルビデオショップ、

●保管財
 ・古本屋
 ・だれがいるか
 ・どこにいるか
 ・どういう形で協力できるか

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

課題:
・サークルなどにはどういった協力体制をもとめるのか?
・この会の目的、動機、構成メンバーなどの詳細をまとめておく
・名刺など必要???
・ その他(何があるだろうか???)

========================

上に書いたようなことを一個一個つぶしていく作業でした。

会議は21日にもweb上で行われており、ここでは進行報告などを中心に話が進んでます。22日には、大学内で初のビラはり。「早稲田松竹復活プロジェクト」として、大学内にその始まりを高らかに宣言したわけです。実際に、アポを取ってくれた人も何人かいたりと、その活動をおこなううえでの励みにもなりました。また、このあたりから、組織構築や、情報フローの構築など、プロジェクトマネジメントの準備を着々とすすめていったわけです。

あちこちのサークルや先生方、商店街の人を回っていたのです。好感触のときもあれば、あまりよい反応をしてくれない人もいました。当然といえば当然ですが。

動きがあったのは25日。
城間隊長一番乗り!
彼には、勅命で、本社にアポなしで望むという指名があったわけですが、それを見事成功させ、「オノダ」さんにお会いすることができた。でも、あうことはできたけれども、「今の段階ではおはなしすることがありませんので・・・なにありましたら、こちらからお電話差し上げますので・・・」ということだったらしい。結局何もわからない。ここでも「熱心ですね」と褒められた(?)みたい、うーん。

どうにかして劇場側の人間とあわなければ話がすすまないわけだが、電話は×、アポなしでも×、残る手は現実性を考えて無理なものが多く、手堅く、手紙を書いてみることになった。そのた、経営案では、ともかく、自分たちのやりたいことを中心に改善案を書いていくとこになり、ともかく、いろいろとアイデアをメールなどで、ブレストすることになった。

30日には、稲門管理の望田さんと会って、物件の試算をしてくれた。
「まあ、お金のことを純粋に考えたら、映画館壊して、建蔽率いっぱいにビル建てて、2階までぶち抜きで映画館作っても、ペイすると思うんだけどねー」といった話で、多分、これがもっとも、お金の面で、わかりやすく、解決しやすいところだとおもえた。
打ち出したデータに試算してくれたものを渡してくれて、早稲田松竹の不動産価値はどんなものだかわかった。続いて、エースジャパンという映画関係の財団から資料をかいあつめたので、海外の映画館の動向などが情報として集められた。こうした、地道なデータや、資料集めもかなりおこなっていた。また、このあたりになると、例の組織構築などの一段落して、「プロジェクト」らしさを増してきていた。

こうして、7月ははじまりの月だった。
動き出した、という実感があった月だ。
スタートダッシュは成功だったといえるだろう。
物語は続く。


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4月~6月 -思考編- [早稲田松竹]

復活させるためにはどうするかな・・・。

まずは、その休館した原因を探るべきだろうということで、ウェブなどで情報を検索。 意外に引っかからなかったりする。

やっと見つけた記事にはこう書いてあった。

「外資系の大型映画館の進出の波の中で名画座が生き残っていくのは難しかった」 昨年は前年比で約15%入場客が減少するなど赤字経営が続いており・・・。

!!!

・・・ちょっと驚いた。儲けようとしているとはおもわなかったので・・・ たしかに、予算とかないのだろうけど、それなりに宣伝のやり方ってあるとおもうが。

まあ、いいや。

情報としてはたいしたものが集まらなかったので、直接電話をかけてみた。

「あのー、私、早稲田大学の学生で、都市計画の研究をしているのですが、その中で、地域文化にスポットを当てていて、早稲田松竹のことについていくつかお話を聞かせてほしいのですが・・・」

「えー、担当のものが不在でして、詳しくは、渋谷の会社のほうにお問い合わせいただけますでしょうか?」

「あ、そうですか、支配人はいらっしゃらないのでしょうか?」

「支配人は3月いっぱいで退社されました」

「そうですか、ご連絡先などをお伺いすることはできないですかね?」

「・・・すでに松竹を退社された人間ですので・・・」

「そうですよね。すいません。では、渋谷の会社の電話番号を・・・」

さて、
沼田が考えた早稲田松竹復活案は大きく分けると3つに分かれます。
A.買う
B.一定期間でも借りる
C.署名、また寄付をあつめる

こういったことが可能なのか、それを確認するための電話でしたが、この電話ではっきりしたこと。

1、早稲田松竹は松竹につながる会社が管理している
2、あくまで「休館」中で、「閉館」はしない
3、当時の支配人は退職、アルバイトは解雇された。

3の問題、このなかの誰かに接触して、情報をあつめられないかな?

うーん・・・。

ともかくそういうわけでA~Cは上の会社<松竹映画劇場株式会社>に聞かなければ、わからない。

さて、じゃあ、その会社にかけてみるか。

・・・
・・・
・・・
ゴールデンウィークで電話かからず。 なぜ、「早稲田松竹」には人がいて、「管理会社」は休みなの?!

(というわけで、ゴールデンウィーク中、電話はつながりませんでした)

ゴールデンウィーク明け。

親会社「松竹映画劇場株式会社」に早速電話してみる。

「すいません、早稲田大学の学生なのですが、早稲田松竹の件でお聞きしたいことがあるのですが」
「はい。何でしょう?」
「あのー休館中ということですが、復活の予定などはないのでしょうか?」
「ええ、再開に向けて努力はしておりますが、現段階ではなんとも申し上げようがございませんが・・・」

「そうですか、いや、ぼくは一介の学生でもあるのですけど、都市計画を勉強もしておりまして・・・」

ここでこまったのは、自分のポジションなのです。

一介のファンとして話を聞くのか?
ビジネスとして、話をきくのか?
研究のためといって話をきりだすのか?

警戒されたら話にならないので、「早稲田大学で、映画好きの学生。ちなみに専攻は都市計画」という立ち位置で話し出しました。

「みなさまの暖かいお声を多数お預かりいたしておりまして、社内でも、再開をめざしておりますので、もうしばらく、 お時間をいただけないでしょうか?」
「・・・そうですか・・・。5分でも、10分でも、お会いして、お話しすることというのはできませんかね?」
「お気持ちだけお預かりさせていただいて、申し訳ありませんが・・・」
「経営不振ということで、休館なされたようですけども、HPをつくって宣伝するとか、会員システムをつくるとか、チラシを他の劇場に置くとか、たくさんお客さんを呼ぶ手法って言うのは考えられるんじゃないですかね?」
「そうですね、お気持ちは十分をお預かりさせていただきましたので、そのように、上のものにも申しておきますので・・・」
「再開が決定するまで、一定期間でも、映画館をほかの団体に貸すというようなことはありませんかね?」
「ええ、まだ、社内でけんとうちゅうですので、なんとも申し上げられませんので・・・」
「・・・そうですか・・・。では、また、後ほどお電話をします」

30分ぐらい粘ったのですが、話に展開がみられず。ともかく、5月いっぱいは時間が欲しい、ということで、待つ しかないようでした。

松竹は大会社なので、やはり一介の学生身分では話を聞いてもらえないのか?

買うのも、借りるのも無理!!!当然か。
では、署名を集めて、必要性を訴えかけるか。
さらに、新しい経営システムの提案書をつくってみよう。

というわけで
1.復活希望の署名によって、松竹を動かす
2.新しい経営システム、宣伝手法、営業計画の提案書を作成する

1.は早稲田のゆかりの人や卒業生、映画ファンなどの声をあつめれば、大きな数になるんじゃないか。また、名画座と
いう、映画館そのものにスポットを当てて、全国に散らばるこうした映画館を応援し、名作、旧作などの映画にたくさんの人に触れてもらうきっかけになるかもしれない。
2.はそもそも、全国の中小映画館がかかえている問題なので、それを解決する手があればいいわけだ、これはたくさん考えられる。」

うーん、考えること多いなー。

そして、5月の終わりころに電話をかけると、

「なんともいいかねます。」

といわれた。もうこれは、黙ってみていても、なにもかわらんだろうということは明白だった。動き出さなければだめだろう。
復活させるための方法は二つ。

ひとつは
「一般の人の関心を高め、その声尾を集約して、社会的必要性としての認識を作り出すこと」
もうひとつは、
「休館した根本的に問題をクリアーするための経営方法を組み立てて、儲かる可能性を提示すること」

復活のためには、やはり署名がもっとも効果的だろうとおもった。
ウェブ、メール、ペーパーを使いながら、早稲田の学生のみならず、映画を愛する人、早稲田を愛する人などの賛同を積極的に得ることができる、そうした、メディアの力で、大きな影響力をもたせることができるかもしれない。

次に、ビジネスモデルの構築
これは、やはり早稲田松竹が休館した原因として、集客力の問題があったことが第一。これを解決するために、「いかにすれば、お客さんが入るか」を検討する必要がある

最初にとりかかったのは、署名のほうだ。ネットで「署名」とか「署名用紙」とか検索してみると、かなりの数が出てきた。
わかったことは
1.署名には法的拘束力はない
2.書式や、形式はばらばら
3.署名内容はさまざまある

・・・むむむ、しかし、たくさんあるなー。
参考にしながら、ひとつ簡単なサンプルを作ってみた。
周りの人間にみせてみると、意見はばらばら、困ってしまったので、ゼミの先生にみてもらうことにした。
先生にはたくさんアドバイスしていただいたのだが、重要なところは2つあったと思う。
1.紙が一人歩きしてもいいように、文書は練りに練る
2.「呼びかけ賛同者」にだれがいるかで、署名活動の成否が分かれる

それを踏まえたうえで、パソコンと向かい合って、考えをめぐらしてみる。
ともかく、思いつく限りの言葉を並べると、短編小説並みの文量になってしまったので、またこれを編集してゆく。ここまでの過程に相当量の時間をとられた。

さて、この紙切れでどれくらいの人を動かせるかな。

最初はざっと仕上げて、何人かにみてもらうが、結構意見はばらばら、最終的には、紙が一人歩きしても通じるもの、ということで、しっかりと文章を作りこむことになった。なかなかくろうしてしまい、時間がかかった。

これを元に、賛同者の名前をもらい、付け足していく。そうすることで、署名活動に箔をつける。
さらに、出来上がったものを多くのメディアなどに投稿し、取り上げてもらい、マスに向かって、その必要性を訴え続ける。

シナリオはできてるんだけどなー・・・。


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